「CX-60ってダサくない?」そんな疑問を抱えて検索された方も多いのではないでしょうか。発売当初から賛否が分かれるマツダ・CX-60ですが、ネット上では「古臭い」「まとまりがない」といった声も目立ちます。一体どこが“ダサい”と感じられてしまうのか、ユーザーの反応や過去モデルとの比較からその理由を丁寧にひもときます。この記事では、フロントやリアの具体的なデザイン指摘から、CX-30やCX-50との違い、さらには日本と海外での評価の差まで幅広く解説。読後には「なぜダサいと思われているのか」「本当にダサいのか」が自分の中で整理できるはずです。
CX-60ダサいと言われる理由は何か?【総論】
マツダのCX-60に対して「なんかダサくない?」と感じた方は少なくありません。SNSや口コミでは「昔っぽい」「まとまりがない」「高級感がない」といった声が目立ちます。ではなぜ、かつて“デザインのマツダ”と称されたブランドから、このような評価が出てしまったのでしょうか。結論からお伝えすると、それはマツダらしさを象徴してきた「引き算の美学」から逸脱し、過剰なデザインの“足し算”に傾いてしまったためです。
この章では、そう感じたユーザーたちが共通して抱いている違和感と、マツダのデザイン哲学とのズレについて詳しく解説していきます。
ユーザーの声に共通する「違和感」とは
CX-60が「ダサい」と言われる理由には、具体的なデザイン上の違和感があります。以下は実際に多くの人が指摘しているポイントです。
よくある指摘の例
- グリルがのっぺりとしていて迫力に欠ける
- 小型ヘッドライトの形状が中途半端
- フロントバンパーのエアロ装飾が雑で統一感がない
- サイドの窓枠がボディラインと合っていない
- リアのデザインがBMW風で安っぽく見える
これらの違和感が「単なる好みの問題」ではなく、「今までのマツダとは明らかに違う」という意識に繋がっています。とくにフロントバンパーに対しては「劣化版デミオ」「子供の落書きレベル」といった厳しい声が見受けられます。
また、後方にかけてのデザインが「ツンと尖ったウィンドウ」「丸く長いリア」という組み合わせになっており、前後のバランスがチグハグだと感じる方も多くいます。これにより「一体感がない」「パーツの寄せ集めに見える」といった印象を受けてしまうのです。
主なユーザー層とその感想
層 | 感想の傾向 |
---|---|
20〜30代 | 「古臭い」「街中で乗りたいとは思わない」 |
40〜50代 | 「派手すぎる」「わかりやすいけど安っぽい」 |
クルマ好き | 「マツダらしさが消えてしまった」「残念すぎる」 |
このように、幅広い層から違和感が噴出しています。見た目の印象に説得力が伴わないという点が、大きなマイナス要素になっています。
「引き算の美学」からの逸脱がもたらした混乱
CX-60のデザインが「ダサい」と言われる最大の理由は、マツダが長年掲げてきた「引き算の美学」から離れてしまった点にあります。これまでのマツダ車は、余計な装飾を排除し、曲線や直線の美しさで調和を演出してきました。たとえばCX-30やCX-50では、フロント・サイド・リアのラインが繋がるように工夫され、モダンで知的な印象を与えていました。
ところが、CX-60では以下のような「足し算」要素が目立ちます。
- スポーティさを強調するための無理なエアロ形状
- 装飾が多く、かえって統一感を損なうフロントマスク
- 安易に他ブランドを真似たようなリアデザイン
このような要素が重なったことで、「このデザイン、本当にマツダが作ったの?」という戸惑いがユーザーの間に広がりました。
デザインの方向性が変わった背景には、日本市場のニーズや中高年層の好みに寄せた戦略があると見られています。しかしそれが、「かっこよさ」ではなく「ダサさ」として受け取られてしまっているのが現状です。
デザインの変化比較
モデル | デザイン評価の傾向 | 特徴 |
---|---|---|
CX-30 | 高評価 | シンプルで洗練された曲線美 |
CX-50 | 高評価 | 直線基調で力強く、バランス良好 |
CX-60 | 賛否両論〜低評価 | 複雑で不統一、主張の強すぎる造形 |
このように、「マツダらしさ」が見えづらくなったCX-60のデザインは、多くのファンにとっては裏切りにも近い変化だったと言えます。
今後、マツダが再び“調和ある美”に回帰するのか、それともこの方向性で突き進むのか、注目が集まっています。次の章では、具体的にどのパーツが「ダサい」とされているのかを、さらに掘り下げていきます。
フロントデザインがダサい?実際の指摘ポイント
CX-60のデザインに対して「なんとなくダサい」と感じている方の多くが、真っ先に違和感を覚えるのがフロントマスクです。見た目の第一印象を決定づけるフロント部分に問題があると、全体の評価にも大きく影響します。特にネット上では、グリルの形状、ヘッドライトのサイズや配置、そしてバンパーのデザインについて具体的な指摘が多数あがっています。
この章では、CX-60のフロントデザインの中でも「なぜそのデザインがダサいと感じられるのか」を深堀りしていきます。
のっぺりグリルと小型ヘッドライトの不協和
まず目につくのが、フロント中央に大きく構えるグリルの存在感です。CX-60のグリルは横に広がった台形型で、最近のSUVに多い“威圧感”を狙ったスタイルですが、それが裏目に出て「のっぺりしている」「間延びして見える」といった声が上がっています。
一方で、その両脇に配置されたヘッドライトは小型で控えめなデザイン。これにより、グリルとのバランスが取れておらず「顔がアンバランス」「目が小さくて頼りない」という印象を与えてしまっています。
不協和に感じられる理由
- グリルが大きすぎてフロント全体が重たく見える
- ヘッドライトが小さく、端に寄りすぎて空白が多い
- 意図された威圧感が“のっぺり感”に転じてしまっている
また、近年のマツダ車に見られたような「左右に引き締まったフロントライン」は影を潜めており、CX-30やCX-50にあった精悍な表情は薄れてしまっています。その結果、従来のマツダファンからは「顔つきがぼやけた」「魅力が半減した」との声が少なくありません。
「デミオ劣化版」と揶揄されるバンパー下部の違和感
さらに深刻なのが、フロントバンパー下部の処理です。ここにはインテーク風の装飾や、スポーティさを演出するためのエアロパーツが配置されていますが、これが「雑に見える」「統一感がない」といった批判を招いています。
実際、SNS上では「子どもの落書きみたい」「デミオを無理やり大型化したみたい」といった声も見られ、バンパーまわりの評価は特に厳しくなっています。
指摘される主な違和感
- インテーク装飾が機能性を感じさせず見た目だけ
- 下部エアロのねじれたようなデザインが視覚的に不快
- 全体として「まとまりがない」と感じられてしまう
CX-60のフロントデザインは、以下のような特徴を持っています。
パーツ | 指摘された特徴 | ユーザーの声 |
---|---|---|
グリル | 横長・台形型でのっぺりとした印象 | 「威圧感より間延び感」「存在感だけ空回り」 |
ヘッドライト | 小型かつ端寄せで迫力に欠ける | 「目が小さくてかわいくもない」 |
バンパー下部 | エアロと装飾が多く、雑多な印象 | 「チグハグ」「デミオの拡大版みたい」 |
本来なら、フロント部分はブランドイメージを象徴する「顔」であるべきです。しかしCX-60では、無理にスポーティさや豪華さを演出しようとした結果、マツダらしさが失われてしまっています。
ヘッドライトとグリルの関係性、エアロ装飾の扱い、パーツ同士の統一感。これらがうまく調和すれば、車のフロントは圧倒的に魅力的になります。CX-60の場合、そこに成功しているとは言いがたい状況です。
このように、細かい部分ではなく、全体の「統一感のなさ」が“ダサい”と感じられる本質的な要因だと言えるでしょう。次章では、サイドやリアのデザインにも注目し、「どのようなアンバランス感がユーザーに違和感を与えているのか」を掘り下げていきます。
サイドビューに漂う古臭さとアンバランス感
CX-60のデザインに対して「なんか古い」「バランスが悪い」といった違和感を覚える方は、フロントだけでなくサイドビューにも注目しています。SUVにおいて横からの印象は非常に重要です。車のプロポーション全体を決定づけるサイドのラインに、調和や一貫性がなければ、全体のデザインは一気に安っぽく見えてしまいます。
結論から言えば、CX-60のサイドビューは「先進性のなさ」と「パーツごとの不統一感」が目立っており、それが“ダサさ”として受け取られています。この章ではその具体的な原因を2つに分けて見ていきます。
CX-5の悪癖を引き継いだ後方ウィンドウ形状
まず多くの指摘が集まっているのが、後方のウィンドウ形状です。特にリヤドアのガラス部分に違和感を覚える方が多く、「ツンととがった形状がボディと合っていない」「無理やり感がある」といった声が目立ちます。このウィンドウデザインは、過去のCX-5からほぼ踏襲されたものですが、それがかえって“進化のなさ”として映ってしまっています。
問題視されている点
- サイドラインの流れを分断するようなとがり
- 車体の大きさに対してガラス面積が小さく、閉塞感が強い
- 窓枠のデザインとボディパネルの接合部に違和感がある
このデザイン処理は「無骨に見える」「90年代のSUVっぽい」と揶揄されることもあり、特に都会的で洗練された印象を求めるユーザーからの評価は低めです。
他モデルとの比較
モデル | 後方ウィンドウの印象 | ユーザーの評価 |
---|---|---|
CX-30 | 滑らかで一体感のあるライン | 「スタイリッシュ」「モダン」 |
CX-50 | 直線的で無駄のない形状 | 「SUVらしくてカッコいい」 |
CX-60 | とがった形で不自然に浮いている | 「古臭い」「まとまりがない」 |
このように、CX-60の後方ウィンドウはデザインの流れを壊す“違和感の塊”として見られがちです。
“絶壁フロント×丸いリア”というキメラ感
さらにCX-60のプロポーション全体を見たときに、多くの人が引っかかるのが“前後のバランスの悪さ”です。フロントはグリルを中心とした直線基調で無骨な印象がある一方、リアは丸みを帯びており柔らかさを感じさせます。
このギャップが“キメラ的”とまで言われ、「前と後ろで別の車をくっつけたようだ」という辛辣な声も上がっています。
キメラ感が生まれる理由
- フロントデザインが“絶壁”のように直立している
- リアデザインはボリューム感があり、逆に丸みを強調
- サイドから見ると前後で全く違うデザイン思想がぶつかっている
デザインの一体感がなければ、高級車としての存在感や上質感は生まれません。むしろ「パーツごとの主張が強すぎてうるさい印象になる」といった否定的な評価を受けてしまいます。
見た目の違和感に対する代表的な声
- 「フロントは直線的なのに、リアがやたら丸い」
- 「後ろから見るとCX-5っぽいけど、前から見ると全然別」
- 「SUVというより“大型コンパクトカー”に見える」
SUVらしい力強さと都会的なスタイリッシュさを両立できていたCX-30やCX-50とは異なり、CX-60のサイドビューはそのどちらにも振り切れていない中途半端な印象を与えています。
デザイン印象比較(サイドビュー)
モデル | 全体の印象 | バランスの評価 |
---|---|---|
CX-30 | 曲線と直線が調和している | 高評価 |
CX-50 | 力強く直線的なデザイン | SUVらしさが際立つ |
CX-60 | 前後で方向性が違いすぎる | 統一感がなく評価が割れる |
このように、サイドビューにおける「とがりすぎたウィンドウ」と「ちぐはぐな前後の造形」が、“古臭くてバランスの悪い印象”につながっていることは間違いありません。
次の章ではリアデザインに焦点を当て、「なぜBMW風に寄せたはずなのに評価されていないのか」を詳しく見ていきます。
リアデザインは「BMW風」でも評価されない理由
CX-60のリアデザインには、どこかで見たような既視感があります。特に「BMWっぽい」と感じた方も多いのではないでしょうか。実際、リアランプの形状や全体のシルエットはBMWのXシリーズに通じる部分があります。しかし残念ながら、BMW風の意匠を取り入れたにもかかわらず、多くのユーザーは「安っぽい」「ダサい」と感じています。
結論を先にお伝えすると、模倣に頼った結果、CX-60のリアデザインは“高級感のないなんちゃってBMW”になってしまったことが最大の原因です。この章では、具体的なディテールを2つの視点から解説します。
ありがちなリアランプ形状に失望の声
CX-60のリアランプは横長で、やや先端を尖らせたデザインになっています。一見、欧州車を思わせる洗練された印象を狙っているようにも見えますが、その形状はあまりにも汎用的です。そのため、多くのユーザーは「どこにでもあるデザイン」と感じています。
指摘されているリアランプの特徴
- トヨタ・ハリアーやホンダ・ヴェゼルなど、他社SUVと似すぎている
- 丸型ランプを捨ててまで採用するほどの魅力がない
- テールの点灯パターンが個性に欠けている
特に、以前のマツダ車に見られた「丸型のテールランプ」にこだわりを持っていたユーザーからは不満の声が多く、「なぜアイデンティティを捨てたのか」との批判もあります。
ユーザーの具体的な反応
- 「どのSUVを見ても同じに見える」
- 「BMW風にしたのかもしれないけど、出来が中途半端」
- 「マツダのリアって、もっと個性的だったはず」
マツダが培ってきた“魂動デザイン”の哲学は、他社と似ていない独自の美しさにこそ価値がありました。その強みを自ら捨ててしまったことが、リアランプに対する失望の声につながっているのです。
比較:リアランプの評価
車種 | ランプの特徴 | 評価傾向 |
---|---|---|
CX-30 | 丸型で光り方に個性あり | 高評価「マツダらしい」 |
トヨタ ハリアー | 横長でシャープな形状 | 無難「よく見る形」 |
CX-60 | 横長・尖り系デザイン | 低評価「ありがち」「没個性」 |
このように、リアランプのありふれたデザインが“BMW風”というよりも“どこにでもあるSUV風”として受け止められているのが実情です。
四角いマフラー&装飾でチープ感が加速
もう一つ、リアデザインで大きく評価を下げているのがマフラーまわりです。CX-60では、リアバンパーの下部に四角いマフラー風の装飾が備え付けられています。しかし実際には「ダミー形状」であるため、機能性は一切ありません。
この“なんちゃってマフラー”に対しては、ユーザーから厳しい声が多く寄せられています。
問題視される理由
- ダミーだとすぐに分かる構造で嘘っぽさが際立つ
- バンパーの装飾が複雑で、下部がゴチャついて見える
- マフラー周辺がチープで安っぽい印象を与える
SUVというカテゴリにおいて、リアのマフラー部分は「力強さ」や「走りへの期待感」を象徴する場所です。それにもかかわらず、視覚的な装飾だけで済ませたCX-60の処理は、逆にユーザーにがっかり感を与えています。
ダミーマフラーに対する反応
- 「どうせなら本物にしてくれ」
- 「こんな見せかけのマフラーいらない」
- 「マツダらしくない、まるで海外の格安SUV」
さらに、装飾の配置や塗装処理の質感にも疑問があり、「高級車の雰囲気ではない」「むしろ安く見える」といった評価も。CX-60は500万円を超えるグレードも存在するモデルですが、リアのデザインだけを見ると価格帯に見合ったクオリティとは言い難いのが現実です。
装飾処理と印象の違い
デザイン要素 | CX-60の仕様 | 評価 |
---|---|---|
マフラー形状 | 四角形ダミータイプ | 「安っぽい」「見せかけ」 |
バンパー装飾 | 複雑で線が多く、統一感がない | 「ゴチャついて落ち着かない」 |
下部エアロ部分 | 意味のない切れ込みや段差が多い | 「デザインが破綻している」 |
このように、CX-60のリアデザインは「BMW風のようでいて、実はただの真似」に見えてしまい、結果的に「洗練されていない」「中途半端」といった印象を持たれてしまっています。
次の章では、「そもそもなぜここまで“ダサい”とまで言われてしまうのか」を、マツダの他モデルや日本人の美意識との関係から深掘りしていきます。
なぜここまで「ダサい」と言われるのか?深掘り分析
CX-60に対して「ダサい」「古くさい」といった評価がここまで多く見られる理由は、単なる好みの問題にとどまりません。むしろ、それはマツダがこれまで積み重ねてきたデザイン哲学との“落差”によって、ユーザーの期待が裏切られたことに起因しています。
結論として、CX-60は「かつてのマツダ車にあった美しさ」を手放し、その代わりに“分かりやすさ”や“派手さ”を追い求めたことが、ダサいという印象に直結しています。では、具体的にどこがダメだったのかを、他モデルとの比較やデザイン方針の観点から掘り下げていきます。
魅力的だったCX-30・CX-50との比較で見える弱点
マツダはこれまで、CX-30やCX-50といったモデルで高いデザイン評価を得てきました。これらの車両に共通していたのは、全体の調和と無駄を削ぎ落とした造形です。いわば、視覚的にも哲学的にも「引き算の美学」が実践されていました。
一方でCX-60は、同じラインナップとは思えないほど異なる印象を与えています。
デザイン比較:CX-30・CX-50 vs CX-60
項目 | CX-30/CX-50 | CX-60 |
---|---|---|
フロントバンパー | 直線基調で統一感あり | 曲線とエアロが複雑に入り混じりチグハグ |
サイドプロポーション | 滑らかなラインで流れるような印象 | 後方ウィンドウのとがりで不自然さが目立つ |
リアデザイン | コンパクトで引き締まったフォルム | BMW風の真似+ダミーマフラーで安っぽさが露呈 |
このように比較してみると、CX-30やCX-50は一貫性があり、全体がひとつの思想でまとめられていたのに対して、CX-60はそれぞれのパーツがバラバラに主張しているように感じられます。
なぜこの違いが重要なのか
- マツダのファン層は「統一された美しさ」に価値を置いている
- 高価格帯に位置するCX-60には「デザインの完成度」が強く求められる
- 他モデルで満たされていた期待がCX-60で崩れたため、失望が強調された
結果的に、ユーザーの目には「これって本当にマツダなの?」という疑念が生まれ、「ダサい」と断言されてしまうのです。
“スポーティさ”という古い価値観の押し売り
CX-60のデザインには、随所に「スポーティさ」を意識した要素が見られます。たとえば大きなフロントグリル、装飾の多いバンパー、エアロ調のディテール、そしてリアのマフラー周りまで、その意図は明確です。
しかし、こうした“わかりやすいスポーティさ”は、現代の美的トレンドとは大きくかけ離れています。
なぜ「スポーティ=ダサい」と言われるのか
- パーツ単位での主張が強すぎて、全体の統一感を壊している
- 一昔前のヤンチャな車を彷彿とさせるデザインが古臭く感じられる
- エアロやグリルが実用性ではなく装飾に見えてしまう
現在、車のデザインにおける「洗練された美しさ」とは、機能性と造形美が融合した“意味のあるシンプルさ”にあります。テスラやボルボ、レクサスの最新モデルを見ても、それは明らかです。
一方CX-60は、以下のような印象を与えてしまっています。
「古いスポーティさ」と感じられる要素
- グリルの主張が強く、もっさり見える
- バンパー周りのエアロが実用性よりも装飾に見える
- マフラーまわりにリアリティがなく、ただの演出に感じられる
ユーザーの目は年々厳しくなっており、「機能と美しさが両立しているか」を自然とチェックする傾向にあります。CX-60のように、演出ばかりが目立ってしまうデザインは、現代の審美眼には合わなくなってきています。
比較:古い vs 現代的スポーティさ
要素 | CX-60 | 現代的なスポーティモデルの傾向 |
---|---|---|
エアロパーツ | 大きく装飾的 | 小さくても効果的な造形が好まれる |
マフラー処理 | ダミー形状で見た目重視 | 実用性を感じさせるリアルな形状 |
グリルデザイン | 横に広がる台形+装飾が目立つ | スリムで立体感ある機能的デザイン |
このように、CX-60の“スポーティさ”は、かえって「古くささ」や「必死さ」を感じさせてしまい、多くの人にとって“かっこいい”とは思えない仕上がりになっています。
次の章では、こうした価値観のギャップが生まれた背景に迫り、「なぜ一部のユーザーには刺さらなかったのか」「どんな層に受けているのか」を分析していきます。
ユーザー層の美的感覚が影響している?
CX-60のデザインに対する評価がここまで二極化する背景には、ユーザー層ごとの「美的感覚の違い」が深く関係しています。
SNSやレビューサイトを見ると、「ダサい」「まとまりがない」と感じる人がいる一方で、「かっこいい」「迫力がある」とポジティブに受け取る層も確かに存在しています。
結論から言えば、CX-60のデザインは“明快でわかりやすいかっこよさ”を重視した設計であり、それが一部の層には強く刺さる一方で、洗練さを重視する層には「古くさい」「センスがない」と受け止められてしまっているのです。
この章では、特定のユーザー層に好まれるデザイン要素と、その価値観のギャップがCX-60の評価を分けている理由を分析します。
ヤンキー・中高年層に好まれる要素とは
CX-60のデザインは、どちらかといえば「威圧感」「押し出し感」「パーツごとの主張の強さ」といった要素が目立ちます。これは、かつてのミニバンブームやハイエースカスタム文化に親しんできたユーザー、いわゆる“ヤンキー的美意識”に近い方向性です。
また、中高年層にも「これくらい派手なほうが見栄えがする」「わかりやすくて安心感がある」と評価される傾向があります。
具体的に好まれるデザイン傾向
- 大型グリルによる“迫力のある顔つき”
- メッキ装飾やエアロ形状などの“パーツ主張”
- リアのダミーマフラーなど“スポーティさ”の記号的演出
- 横幅のあるプロポーションで“大きく見える”外観
これらは、いずれも直感的で視覚的に“強い”と感じられる要素です。
好みに合うユーザー層の特徴
層 | 傾向 |
---|---|
ヤンキー系 | 派手なカスタムや外装の主張を好む |
中高年層 | 落ち着いた見た目よりも存在感を重視 |
郊外志向 | 街中よりも郊外で映える車を求める |
マツダとしては、この層を意識して「誰が見てもわかりやすいデザイン」を目指した可能性があります。ですが、それが一方の層からは“ダサい”と断定される原因にもなってしまいました。
「わかりやすい=かっこいい」志向が招く悲劇
CX-60のデザインには、「これがかっこいいでしょ?」という製作者側の“分かりやすさ”の押し付けが見え隠れします。これは一種の「記号的デザイン」であり、スポーティなエアロ、力強いグリル、BMW風のリア形状など、既存の“かっこいい”のテンプレートを組み合わせて構成されています。
しかし、それらの要素が統一感なく詰め込まれると、むしろ逆効果になります。特にデザインの流れや調和を重視する人からは、「安っぽい」「中身がない」と受け取られてしまうのです。
「わかりやすさ」が裏目に出た理由
- デザインに“意図の深さ”や“設計思想”が感じられない
- パーツごとの主張が強すぎて全体の流れが断絶している
- よくあるSUV的デザインを寄せ集めただけに見える
この結果、デザインに精度や品位を求める層からは評価されず、「ありがちなかっこよさの押し売り」に映ってしまいました。
ありがちな反応の違い
感性タイプ | CX-60への反応 |
---|---|
“見た目重視”型 | 「迫力あってかっこいい!」 |
“全体調和”型 | 「まとまりがなくてセンスがない…」 |
“ブランド重視”型 | 「これがマツダ?CX-30は良かったのに」 |
つまり、CX-60の評価が真っ二つに割れてしまう原因は、「デザインをどう受け止めるか」が、世代や価値観によって大きく違っているためです。
万人受けすることは難しいかもしれませんが、少なくとも“わかりやすさ”に頼りすぎたデザインが、美的感覚の異なる層にとっては「退化」と感じられてしまったことは否定できません。
次の章では、こうした国内市場での評価とは裏腹に、欧州市場など海外ではどう見られているのかについて掘り下げていきます。どんなズレが存在するのか、海外視点での分析に注目してみましょう。
海外評価と日本市場のズレ
CX-60に対する「ダサい」という評価は、実は日本国内にとどまらず、海外でも一部の層から指摘されています。特に欧州では、競合となる他メーカーのミドルサイズSUVが多く展開されており、それらと並べて比較されることでCX-60の“見劣り”が浮き彫りになっています。
結論からお伝えすると、CX-60は日本市場ではある程度“分かりやすさ”が評価されている一方、海外では「洗練さに欠ける」「価格に見合っていない」とされ、やや冷ややかな目で見られている傾向があります。
この章では、欧州車との比較を通してCX-60のデザイン評価を深掘りし、なぜ海外で売れにくいのかを明らかにしていきます。
欧州の競合車種と比べて分かる洗練度の違い
CX-60が展開されているヨーロッパでは、同じ価格帯に以下のような競合SUVが存在しています。
欧州の主なライバル車種
- BMW X3
- Volvo XC60
- Audi Q5
- Peugeot 5008
- Skoda Kodiaq
これらのモデルはいずれも、デザインの一体感とブランドアイデンティティの明確さが高く評価されている車種です。
一方、CX-60はどうしても「マツダっぽくない」「プレミアムに見えない」といった印象を持たれがちです。
デザイン比較の観点
比較項目 | 欧州ライバル車種 | CX-60 |
---|---|---|
フロントの印象 | 精緻な造形と立体感 | 平面的でのっぺりとした仕上がり |
サイドライン | 滑らかに流れるプロポーション | とがった窓と直線的な重さ |
リアデザイン | シンプルかつシャープ | BMW風だがやや古臭く見える |
ディテール処理 | 凹凸の抑制と素材の質感にこだわる | 無駄な装飾が多くチープに見える |
欧州車は“余白の美しさ”を理解した上で、必要最低限の装飾で高級感と個性を演出しています。対してCX-60は、「なんとなくスポーティにしたい」「とにかく大きく見せたい」といった“目的の不明瞭さ”が目立ち、洗練さで一歩遅れている印象を与えてしまっています。
欧州メディアでの実際の反応
- 「見た目は悪くないが、どこか時代遅れに感じる」
- 「装備は豪華でもデザインが価格帯に見合っていない」
- 「質感は良好だが、プレミアムSUV市場で戦うには弱い」
つまり、単体では悪くないデザインでも、比較されると一気に粗が目立ってしまうというのがCX-60の現状です。
CX-60が売れにくい理由を海外目線で解説
欧州におけるCX-60の販売は、期待されたほど伸びていません。その理由は単にデザインだけにとどまらず、マーケットとの相性の悪さにもあります。
売れにくさの背景
- デザインがプレミアム志向に見合っていない
- ブランドイメージが高級SUVとして定着していない
- 欧州の顧客は「実績のあるメーカー」を重視する傾向が強い
- 内外装の質感は良好だが、見た目が価格帯に見合わないと判断されがち
また、特にディーゼルモデルにおいては燃費や排出規制との整合性が取れにくい国もあり、販売戦略そのものが限定的な状況にあります。
欧州市場とマツダCX-60の相性
要素 | 欧州市場の特徴 | CX-60の対応状況 |
---|---|---|
ブランド信頼性 | メルセデス・BMWなどが圧倒的に強い | プレミアム路線が新規で浸透しづらい |
デザイン哲学 | 一体感・機能美・素材感を重視 | 足し算的で“わかりやすさ”優先 |
環境・技術規制 | PHEV・EV中心、CO2削減への関心が高い | ディーゼル中心の展開で課題あり |
このように、CX-60はマツダとしてのチャレンジングな一台でありながら、市場とのミスマッチが随所に見られます。特に欧州での顧客は「デザイン」「ブランド信頼」「技術・環境性能」の3点を重視するため、CX-60はそこに入り込めていないという現実があります。
海外視点で見たCX-60のポジション
- デザイン:凡庸で目立たず
- ブランド:プレミアムとしては新参者
- 性能:悪くないが“特別感”に欠ける
- 価格:内容に対してやや割高に感じられる
CX-60が「日本ではそこそこ売れているのに、海外では静かな存在」にとどまっている理由は、このような評価バランスのズレにあります。
次章では、そんなCX-60のデザインを生み出したマツダの体制変化や、チーフデザイナーの異動など、ブランドの“内側”に焦点を当てていきます。果たして、あの“魂動デザイン”はどこへ向かっているのでしょうか。
デザイン担当・前田育男氏の異動は偶然か?マツダの転換点
CX-60の登場に合わせるかのように、マツダの象徴的存在だったチーフデザイナー・前田育男氏が異動となった事実に、多くのファンが驚きと不安を抱きました。マツダのデザイン哲学を語る上で、前田氏の存在は欠かせません。長年にわたり“魂動デザイン”を牽引し、マツダ車を世界的なデザイン賞の常連にまで引き上げた立役者です。
結論として、CX-60をきっかけに前田氏が異動となった背景には、単なる人事ローテーションでは済まされない、マツダ全体のデザイン方針の転換があると考えられます。この章では、“魂動デザイン”の終焉の兆しと、ファンが感じているブランドへの期待と不安を深掘りします。
「魂動デザイン」終焉のサイン?
“魂動(こどう)デザイン”とは、2010年にマツダが打ち出したデザインフィロソフィーであり、「動きのある生命感」や「内面から湧き出る力強さ」を視覚的に表現することを目指したものでした。CX-5、アテンザ(現・MAZDA6)、そしてCX-30やMX-30といった数々のモデルで実践され、マツダの世界的なデザイン評価を押し上げた大きな要因です。
しかし、CX-60のデザインを見る限り、この魂動デザインの精神は弱まり、「足し算」のデザインに戻ってしまった印象を受けます。
魂動デザインから逸脱したとされるポイント
- 要素の統一よりも「わかりやすさ」「迫力」を優先
- 空間と余白の活かし方がなくなり、装飾が増加
- 曲線の流れよりも、パーツ単体の強調が目立つ
こうした変化の中で前田育男氏がチーフデザイナーのポジションを外れたことは、象徴的な出来事と受け止められています。
異動は偶然か?それとも戦略的か?
要素 | 見方A:偶然の人事 | 見方B:方針転換の結果 |
---|---|---|
タイミング | 定期的なローテーションと説明 | CX-60発表直後の異動は不自然 |
後任の方針 | 情報が少なく継続性不明 | プレミアム路線へ転換の布石 |
社内外の反応 | 一部では驚きの声がある程度 | ファン層では「デザイン崩壊」の危機感 |
CX-60は「魂動デザインの完成形」として出るはずだったモデルです。それがこのような賛否両論に包まれているという事実は、マツダのデザインが曲がり角に来ていることの証拠と見るべきです。
ファンが抱えるマツダへの期待と不安
マツダは、トヨタや日産、ホンダといった大手と違い、規模では勝てないからこそ“個性”で戦ってきたブランドです。その中でも特に、デザインの美しさ、走りへのこだわり、ブランド哲学の一貫性といった要素にファンが惹かれてきました。
しかしCX-60の登場で、「え?マツダも結局は大衆向けに媚びたの?」と感じたユーザーは少なくありません。
実際のファンの反応
- 「最近のマツダは守りに入っている気がする」
- 「CX-30までは完璧だったのに、CX-60で迷走した」
- 「また“日本的なゴテゴテデザイン”に戻ったようで残念」
これまでのマツダには、“小さくても強いメーカー”という誇りがありました。それが薄れていくように感じる瞬間が、デザインの変化を通じて伝わってきてしまっているのです。
ファンがマツダに期待しているもの
期待する要素 | 理由 |
---|---|
一貫した美学 | CX-5〜CX-30で見せた「引き算」の洗練 |
挑戦的な思想 | 他社がやらないことをやる“独自路線”への共感 |
世界的な評価の継続 | 欧州やアメリカでも通用するデザイン力 |
こうした期待があるからこそ、CX-60のような方向性の変化には強い反応が起きてしまうのです。
ファン心理は、「ただのかっこよさ」ではなく、「哲学あるかっこよさ」に敏感です。マツダが今後、魂動デザインの精神をどう扱っていくのか、あるいはそれに代わる新しい軸を示すのか――その選択次第でブランドの未来は大きく変わっていくでしょう。
次章では、こうした批判的な声の一方で、「実はCX-60を肯定的に評価している層」や「一定の魅力があると感じている理由」についても、バランスよく見ていきます。
「ダサい」だけじゃない?CX-60に好意的な評価もある
CX-60に対しては「ダサい」「マツダらしくない」といった厳しい声が多く見られますが、その一方で好意的な評価をしているユーザーも確かに存在します。実際、CX-60は販売開始から一定の受注を獲得しており、「かっこいい」「安心感がある」「今っぽくて好き」という意見も散見されます。
結論から言えば、CX-60のデザインは“万人に響く洗練さ”ではないものの、特定の層にとっては「親しみやすさ」や「安定感」としてポジティブに映っているのです。この章では、好意的な意見の背景にある感性や視点を掘り下げていきます。
古典的デザインを「安心感」と捉えるユーザーも
デザインにおける“ダサさ”は主観であり、時代や価値観、ライフスタイルによって大きく評価が分かれます。特にCX-60のように、直線基調で存在感を前面に出したデザインは、「最新の美しさ」には見えないものの、クラシカルで落ち着いた印象を与えることができます。
安心感につながる要素
- 過剰な未来感がなく、目立ちすぎない
- デザインが保守的で、奇をてらっていない
- ボディサイズが大きく、存在感が頼もしい
このような特徴が、中高年層やファミリー層からは「安心して乗れるデザイン」として評価されています。とくに「トヨタ・ハリアーは若すぎる」「日産・エクストレイルは派手すぎる」と感じる層にとって、CX-60はちょうどよい“バランス感”を提供しているのです。
好意的な意見の実例
- 「あえて古風な雰囲気が逆に落ち着く」
- 「流行りのEV風よりも、しっかり車らしくて好感が持てる」
- 「フロントがどっしりしていて安心感がある」
これらの意見から分かるのは、“デザインの正解”はひとつではないということです。モダンさや流麗さを求める人がいれば、無骨さや直線美を評価する人も確実に存在します。
デザイン嗜好別:CX-60の評価
嗜好タイプ | CX-60への印象 |
---|---|
クラシック派 | 「落ち着きがあって安心できる」 |
スタイリッシュ派 | 「ちょっと古くて物足りない」 |
SUVらしさ重視派 | 「無骨で頼りがいのある見た目」 |
このように、「古くさい」と切り捨てるのではなく、「クラシカルで安心感がある」とポジティブに捉える見方も根強いのです。
CX-60に見出される機能美と実用性の視点
CX-60のデザインを好意的に受け取るユーザーの中には、「見た目の格好良さ」よりも、“使いやすさ”や“実用的な形状”に価値を見出している人も多くいます。つまり、「見た目で遊ぶ車」ではなく、「長く実用的に乗る車」としてCX-60を選んでいるのです。
実用性のあるデザイン特長
- 見切りの良いボディラインで運転しやすい
- 直線的なリア設計で荷室スペースが確保されている
- 高さのあるフロントが歩行者や自転車との視認性を高めている
また、ボンネットの高さやドアの大きさといった「機能としての形状」も、デザイン評価に影響を与えています。
実用目線での評価
- 「荷物が積みやすくて使いやすい」
- 「背が高いので見晴らしがよく運転がラク」
- 「ドアが大きいから子どもの乗り降りも安心」
こうした実用性を重視する層にとっては、多少の“デザインの遊び心のなさ”はむしろ長所です。派手すぎず、飽きがこないデザインであることが、長期使用における満足度を高めているのです。
CX-60の機能美ポイントまとめ
デザイン要素 | 実用面での評価 |
---|---|
直線的なサイド | 室内空間が広く、使い勝手が良い |
高めのフロント | 前方の視認性が高く、事故リスク軽減 |
スクエアなリア | 荷物の出し入れがしやすい |
このように、CX-60のデザインは見た目だけではなく、機能性や暮らしやすさを意識した構造として評価されている側面もあります。
CX-60を「ダサい」と感じるのは一部の視点にすぎず、実際には“落ち着き”“安心感”“機能性”といった軸で選ばれているユーザーも数多く存在します。
次章では、これまでの内容を踏まえ、「本当にCX-60はダサいのか?」という問いに対して、価値観の多様性や今後のデザイン展望も含めて、総合的な結論を導き出します。
まとめ:「CX-60は本当にダサいのか?」という問いに答える
ここまでCX-60のデザインに対する評価を深く掘り下げてきましたが、結論として「CX-60は絶対的にダサい」とは言い切れません。
むしろその評価は、誰がどんな視点で車を見るかによって大きく変わる“相対的なもの”です。
たしかに、かつてのマツダが追求してきた“引き算の美学”や“デザインの一体感”と比較すると、CX-60はパーツ単位で主張が強く、調和を欠いたようにも見えます。けれど、それを「力強い」「存在感がある」と受け取るユーザーも一定数存在します。
つまり、「ダサいかどうか」は、時代背景や個人の美的感覚によって大きく揺れ動く概念です。この章では、その“相対性”と、今後CX-60やマツダのデザインがどのように進化すべきかをまとめていきます。
価値観の多様化と“ダサい”の相対性
現代は、ひとつの価値観や美的基準では語れない時代です。かつては「シンプル=正義」「欧州風=かっこいい」といった評価軸が主流でしたが、今では「わかりやすさ」「主張の強さ」「懐かしさ」といった別の価値観も肯定されるようになっています。
“ダサい”とされる理由が変化している
時代 | ダサいの基準 |
---|---|
1990〜2000年代 | 古臭く、機能性を無視した装飾 |
2010年代 | 派手すぎる・調和を欠いた造形 |
現代 | “わかりやすさ”すらダサいとされる傾向 |
このように、CX-60が「ダサい」と言われる背景には、“情報の多い時代”における洗練志向の高まりがあります。逆にいえば、万人にとって「これが正解」と言えるデザインなど、もはや存在しないのです。
多様な評価軸の一例
- デザインの一体感(CX-30、CX-50が高評価)
- 存在感の強さ(CX-60が一部で支持)
- 実用性と安心感(ファミリーユーザーに好まれる)
- ブランド哲学への共感(魂動デザインを重視する層)
CX-60のデザインは、このような多様な評価の中で“受け入れられる人には受け入れられる”という立ち位置にあります。だからこそ、一部では熱烈に支持され、また一部では強烈に拒否されるのです。
CX-60に求められるこれからのデザイン進化
CX-60が今後、より幅広いユーザーに受け入れられる存在になるためには、マツダが掲げてきた“調和ある美しさ”と“機能に根差した造形”という2つの柱を再確認する必要があります。
デザインはブランドの顔であり、技術や価格以上にユーザーの第一印象を左右する要素です。特にマツダは、かつて“日本車で唯一、欧州車に美しさで対抗できるメーカー”と評価されたこともあるだけに、そのポジションを自ら手放してしまうのは惜しいといえます。
今後マツダに期待される方向性
- 無理な派手さをやめて、一体感と静けさを重視すること
- 「スポーティ=わかりやすい」から脱却し、奥行きを持たせること
- 欧州市場に通じる“余白の使い方”を再評価すること
- 実用性や安全性と美を融合させる“機能美”の追求
さらに、前田育男氏の魂動デザインに代わる“新しいマツダらしさ”を確立することも求められるでしょう。ただし、それは決して過去を否定するのではなく、過去の資産を土台にしてこそ説得力が生まれます。
最後に:CX-60は「ダサい」だけではない
CX-60は、“見た目の強さ”と“生活に根ざした機能性”という2つの顔を持つ車です。
ある人にとっては未完成なSUVかもしれませんが、ある人にとっては等身大でちょうど良いパートナーでもあります。
「ダサい」と感じた方も、「ちょっと気になる」と思った方も、この記事を通してCX-60のデザインを多角的に見直すきっかけになれば幸いです。
マツダというブランドが、この先どんな美しさを描いてくれるのか、今後の進化に注目していきましょう。
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